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浜の観音さん 観音大曼荼羅ご開帳


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 千本長谷寺で観音春まつり
百三十反大曼荼羅開帳に参拝者
 「浜の観音さん」の名で親しまれている千本の時宗・稲久山長谷寺(遠山元浩住職)で春まつりが十五、十六日に行われた。
 両日共に暖かい日差しを受け、三々五々参詣者が訪れ、百三十反大曼陀羅を拝んだ。
 同寺の歴史は古く、弘法大師が全国を巡る途中の天長二年(八二五)、沼津に逗留した際、漁師達が信仰していた十一面福聚自在天観世音菩薩をお堂に安置したことに始まると伝わる。
 また、例祭日における大曼陀羅の開帳については、寛永八年(一六三一)、小松周防守が曼陀羅を寄進したという記録が残っているという。
 この観音曼陀羅は、千石船の帆などに十一面観晋菩薩の姿を写し航海の安全を祈願するとともに、海で亡くなった人達を弔うために奉納された。
 現在の百三十反大曼陀羅は「昭和の大曼陀羅。先代曼荼羅は、市教委発行の「沼津の文化財」によれば、明治八年、菊地金平受広(一運斎国秀)が二百畳余の綿布に半年を費やして、原図を基に写し上げたものだという。画面中央に高さ二十二㍍の十一面観世音菩薩が描かれ、光背は般若心経などの経文からなっていた。
 これが月日がたって傷みが進んだことから日本画家の志賀旦山氏(故人)によって生まれ変わったのが現在の大曼陀羅。縦三〇㍍、横一二㍍と、先代を一回り大きくした曼陀羅となった。
 その大きさから風の強い日などは開帳も大変で、今年の祭典も初日は風が強くて掲げる状態でなく、専用の骨組みに寝かせての開帳だったが、二日目は風も収まり、胸元から上を掲げて参拝者を迎えた。
【沼朝平成29年4月19日(水)号】

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